2019年08月12日
郊外へ。
運河に白鳥が一羽だけ。

たった一羽、孤独なので、「みにくいアヒルの子なのかもしれないよ」とディディエがいう。
ルイは湖で泥遊び。肌寒い日になったので、さすがに水の中には入る気になれなかったもよう。
みにくいアヒルの子の話が、昔から大嫌いだったことを思い出した。でもなぜ嫌いなのか、深く考えたことはなかった。なんとなく、何の努力もなくただ白鳥に生まれついただけで、最後は勝ち誇っているというのが嫌なのかなと分析してみたり。白鳥の方がアヒルより偉いと決まっているわけでもないし。白鳥が貴族的で、アヒルが庶民的ということで、どちらもその階級に生まれついたらそれっきりだから、階級闘争的にも嫌なのかもしれないと思ってみたり。そもそも灰色でうまく鳴けないことの何が問題なの?と最初の最初からいらだたしいからかもしれないし。みんなと同じでも、みんなと違ってても、別にどっちでもいいんだし。だけどそんな平等主義を持ち出させられること自体が不愉快でもあるのだし。同じシチュエーションでも、もっとほのぼのした感じにもできたはずだけど。例えば、なんか毛色の違う子が兄弟にいたけど、まあみんなそれなりに仲良く暮らしてたら、成長したその子が白鳥になっちゃったのでびっくりした、くらいの、子ども向けののんびりしたトーンで。ところがアンデルセンはぜんぜん違ってて、最後までだれも幸せになってない気がして、殺伐とした気持ちにさせられるから、きっとこの話が嫌いだったのだろうな。
(15:02)