2015年01月16日

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「シャルリー・エブド銃撃事件」から1週間経ちました。


凶弾にたおれたウォランスキー氏の描いた猫39876
ウォリンスキーじゃなくてウォランスキーですよね、フランス語だと。







第一報のあったとき、すぐにニュースなどでニューヨークで起きたツインタワーのテロが引き合いに出されました。

それを聞きながらディディエは、「それは違うよ、アメリカだったらツインタワーではなくて、自由の女神が破壊されたようなものだ」とつぶやいていました。


シャルリーエブドで描かれた「風刺画」というのはそれほどまでにフランスを象徴するものです。風刺画はフランス共和国の伝統として200年の歴史があります。
http://webronza.asahi.com/global/articles/2913100400002.html


風刺というと、日本人なら「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」の狂歌のように、ちょっと自虐的だったりして、クスッと笑って共感するみたいなものを思い描くかもしれませんが、

フランスの風刺画は、そんなものであってはなりません。悪趣味で不愉快なものこそが風刺画です。

サド侯爵の世界をそのまま引き継いでいるようでもあり、フランスはその時代から、まるで変わっていないのだと感じます。

人の気持ちを逆立てかき乱すことがなければ、風刺には存在意義がないのです。


たとえば原発事故のときの東電や政府の対応を批判するために、カナール・アンシェネという別のフランスの風刺新聞は、足と手がそれぞれ3本ある力士の絵を載せました。それに対して日本政府は抗議しました。

こうして問題を風化させないこと、そのための上品とはいえない遣り口が風刺画を描くことです。


フランスの風刺のために、傷ついた人は数限りなくいます。けれどもそれがフランスです。フランスの価値観そのものです。


そして私はフランスにはフランスでいて欲しいと思っています。たとえ不愉快でも。フランスがフランスである自由を失えば、いつか日本が日本でいることだって……


(00:13)

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